花見山公園の歴史

日本の養蚕業は江戸時代末期から昭和初期までは非常に盛んな産業でした。
福島県は養蚕業が盛んな地域で、特に伊達市梁川町は「蚕都梁川」として有名でした。

 

花見山公園のある福島県福島市の渡利地区も養蚕が盛んな地域でした。
その地域で阿部一郎さんの先代は養蚕を営んでいらっしゃったそうです。

 

 

昭和初期になると養蚕景気も過ぎ去り徐々に衰退していきました。
そんな時代背景のもと阿部一郎さんの先代が、山に生えている花木を売り出したところ、生け花などでニーズがあることがわかり、雑木林だった現在の花見山を開墾して花木を植え始めたそうです。

 

これが現在の花見山公園のルーツなんですね。

 

太平洋戦争中は食糧事情が悪化したため、不要不急の作物、つまり花などを農地に植えることを禁止されたところもあったといいます。
「花の栽培は非国民だ」
そんなことを言われた暗く悲しい時代もあったのです。

 

このような時代を乗り越えて、阿部さんが山を開墾して花木を植え続けた結果、雑木の山は花が咲き誇る山に変わっていきました。

 

 

そして、その山の美しさは次第に人々の心を捉え始めました。
「花を見せて下さい」と訪れる人が増えてきたのです。阿部さんはそんな申し出を快く受け入れていきました。

 

昭和34年「花見山公園」と名付け、山を公園として開放することを決めました。

 

現在では、東北の遅い春がやってくる頃になると、阿部さんが育てた花見山に日本全国から20万人以上の人々が訪れます。